時が行き過ぎ追いかけるには息が切れる日々。
冗談にはレベルが高すぎる毎日。探し物から零れ落ちた古い昔の写真をじっと見つめ壊れすぎた自分の顔を見つめがっくりと顎が落ちる、今は自分では呆れるほど壊れすぎいつ死んでも決しておかしくない。ひと時のあの太陽がまぶしく女性のお尻や胸元やらが気になった日がとてもなつかしい。
毎日が戯れに走り回ったあの若いころが懐かしくそして悲しい。ウクライナの悲劇、プーチんの犯した侵略戦争は未来に大きく深い傷を残すだろう。トンボの群れに竹竿を振り回したように次々とジェットやヘリが落ちていく。電話が鳴ればコロナの熱発の話ばかり。自分が感染するのも最早時間の問題だろうかと思う。
いつ来てもおかしくない大きな地震の恐怖、コロナの後は「サル痘」、とかいう奇妙な病気。これはコロナと違って男女の間では感染はないだろう。推測だけれど。幾ら健康な人でもいつかは必ず死ぬ。しかし意味もなく若くなくなっていくにはとても理不尽な論理ではないだろうか。
今世紀、あの大きな国家にあうだこうだと意味付け、ウクライナに侵略するロシアという国家があるのだから、間違っても北方4島が日本に帰るわけがないだろう。もうおやめなさい。ひまわりを見つめウクライナの高原を想う。
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